大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 昭和51年(ワ)339号 判決

原告 山崎茂美

〈ほか二名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 林伸豪

同 枝川哲

右訴訟復代理人弁護士 川真田正憲

被告 森本廣一

右訴訟代理人弁護士 田中達也

主文

原告らの請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告山崎茂美に対し金一四二九万六八七六円、同山崎圭子及び同山崎修嗣に対し各金一二二九万六八七六円並びにこれらに対する昭和四八年九月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告山崎茂美(以下「原告茂美」という。)は、訴外亡山崎幸己(以下「幸己」という。)の夫であり、原告山崎圭子(以下「原告圭子」という。)及び原告山崎修嗣(以下「原告修嗣」という。)はいずれも原告茂美と幸己との間の長女及び長男である。

(二) 被告は、肩書地において、森本医院の名称で内科医院を開業している医師である。

2  幸己の死亡に至る経緯

(一) 幸己は、昭和四五年四月一六日、胸焼け、吐き気、腹部不快感を訴えて森本医院を訪れ、被告の診療を受けるようになった。

(二) 被告は、昭和四五年一〇月二二日、幸己の胃部のレントゲン検査を実施し(以下「昭和四五年一〇月のレントゲン検査」といい、同検査によるレントゲン写真を「昭和四五年一〇月のレントゲン写真」という。)、その結果、胃に小さな傷があることを発見したが、その病状について消化性胃炎であるとの診断を下し、同女に対し、「一週間何も食べずに水ばかり飲んでいれば治る程度だから心配することはない。」と述べ、引き続き来院するようにとの指示を与えた。幸己は被告の指示を忠実に守り、以後食事療法に努め、一週間に一回くらいの割合で通院を続けた。

(三) しかし、幸己の病状は好転せず、むしろ悪化の一途をたどり、その上被告の指示による食事療法のために身体の衰弱が著しくなった。

(四) 被告は、昭和四六年一〇月一日、再度幸己の胃部のレントゲン検査を実施した(以下「昭和四六年一〇月のレントゲン検査」といい、同検査によるレントゲン写真を「昭和四六年一〇月のレントゲン写真」という。)。右レントゲン撮影の結果を見た被告は一瞬顔色を青ざめ、驚いた表情をし、幸己から何度もその理由を尋ねられたが、「絶対に癌ではない。」と断言した。

(五) 幸己は、その病状が好転せず、被告の診療態度に不安を感じたので、昭和四七年二月一五日ころ、徳島市幸町で森口胃腸科の名称で医院を開業している訴外森口克彦医師(以下「森口医師」という。)を訪れ、同医師の診察を受けた。そして、同医師は、同年同月一八日、幸己に対しレントゲン検査及びファイバースコープによる精密検査をした結果、同女の病気は胃癌であり、しかもその癌が周囲に転移しているため既に治療の時期を失しもはや手遅れであるとの診断を下し、その旨を同女に告げた。

(六) 幸己は、同年三月六日、斎藤病院において胃の癌部分の切除のため開腹手術を受けたが、既に胃体部に癌腫があり四周に転移している状態にまで及んでいたので、胃の切除は行われなかった。

そして、幸己はその後苦しい癌との闘病生活を送った後、昭和四八年九月九日、三九歳で死亡した。

3  被告の責任

(一) 幸己の胃癌は、昭和四七年二月一八日にはもはや手遅れの進行癌の状態であったのであるから、昭和四五年四月一六日森本医院での初診当時には既に発病していたものと推認され、昭和四五年一〇月のレントゲン検査の結果、幸己が胃癌にかかっていることは明らかであった。しかるに、被告は右検査結果の分析を誤り、癌を発見するに至らなかった。

(二) 仮に右レントゲン検査によって幸己の胃癌を発見することが著しく困難であったとしても、以下のような諸症状から少なくとも昭和四六年一〇月ころまでには胃癌ではないかとの疑いを抱くべきであった。すなわち、

(1) 幸己は、被告に対して当初から一貫して胃の調子が悪いことを訴え適切な治療を求めて昭和四五年九月二四日から昭和四七年二月一四日まで森本医院に通院したのであるが、その間、長期にわたり病状は全く好転しないばかりか、森本医院への通院前は体重五五キログラムのふっくらとした体格であったのが、右通院期間中漸次体重が減少し昭和四七年二月ころには体重約三八キログラムとなり、一見して貧血と分かるまでに痩せ衰えてしまった。このように腹部不快感などの症状が長期間改善されず体重の減少が著しいことは、胃癌の最も疑わしい徴候である。

(2) また、幸己は森本医院に通院し始めた当初から被告に対し嚥下障害を訴え、その後もこの症状は消えることなく、昭和四七年二月一五日ころ森口胃腸科を訪れた際にも森口医師に対してこのことを訴えている。そして、嚥下障害があれば食道ないし噴門部の癌を強く疑わなければならないことは臨床医の常識である。

(3) 被告は幸己に対し血沈検査を行っているが、その結果は、昭和四六年七月三日には一時間値四〇ミリ、二時間値七四ミリ、同年九月二六日には一時間値四〇ミリ、二時間値五八ミリ、同年一一月一七日には一時間値四八ミリ、二時間値五六ミリであり、右はいずれも中等度の異常値と評価されるものであった。そして、癌の場合には軽中等度の赤沈値の促進があると言われており、右の結果は明らかに癌を疑わせる一つの徴候である。

(4) 更に、昭和四五年一〇月のレントゲン写真には癌腫あるいは潰瘍と見るべき不整像が顕出されており、また昭和四六年一〇月のレントゲン写真は被告が法廷に提出しないためにその影像を確認することはできないものの、同写真には癌腫と見られる像が写し出されていたことは昭和四五年一〇月のレントゲン写真及びその後の幸己の病状などから十分推察できるところである。

以上のような諸症状が明らかであり、加えて幸己は当時四〇歳に近いいわゆる癌年齢であったのであるから、医師としては当然癌の疑いを持つべきであり、その発症の有無を診断するため、より精密な二重造影法又は圧迫撮影法によるレントゲン検査、胃カメラないしファイバースコープによる検査、更にはアルカリフォースターゼ反応検査及び便の潜血反応などの精密検査を実施すべき義務があった。また、仮に当時被告の有する医療設備や技術ではこれらの検査が困難であったとすれば、被告としては、幸己に対し右検査が実施可能な病院に転医するよう指示するか、あるいは右検査を他の病院に委嘱するなどの処置を講ずる義務があったと言うべきである。

(三) しかるに、被告は、右重大な諸症状を見落として、消化性胃炎あるいは慢性消化性胃炎と誤診し、これに応じた限度で治療をするに終始し、前記必要な処置を怠った。

(四) 被告は、前記のとおり、医師として幸己の治療をするに際し、胃癌であるとの適切な診断をせず、あるいは右適切な診断をするため幸己に転医などにつき十分な説明をすることを怠った点において、診療契約上の債務の不完全履行若しくは不法行為の責任がある。

4  因果関係

もし被告が遅くとも昭和四六年一〇月ころまでに幸己の病状につき胃癌であると適切な診断をし、又は少なくともその疑いを持ち、内視鏡ないしファイバースコープによる精密検査など前記の諸検査を実施しておれば、早期に幸己の病気が胃癌であるとの診断がなされ、その結果、同女は手術などの適切な治療を受け胃癌による死亡を免れたことは明らかであるから、被告の前記誤診及びこれに基づく不適切な治療と幸己の死亡との間には相当因果関係がある。仮に胃癌による死の結果を回避することができなかったとしても、幸己は被告の前記誤診により早期に適切な治療を受ける権利を不当にも奪われたのであるから、被告は少くとも慰謝料支払の義務は免れない。

5  なお、医師は、患者との間の診療契約に基づき、適切な診療を行う義務のほか、カルテ及びレントゲン写真などの診療録を保管し患者の請求があればこれらを提出閲覧させる義務を負担するが、医師がこの義務に違反して故意または過失により診療録を隠匿滅失などし、患者側の医療事故に関する医師の過失あるいは因果関係の立証活動が妨害された場合には、右医師の過失あるいは困果関係が推定されるものと解されるべきである。

これを本件についてみれば、昭和四六年一〇月のレントゲン写真は本件医療事故に関する被告の過失及び因果関係の存在についての原告らの立証活動に極めて重要な意義を有しているが、被告はこれを故意に隠匿あるいは滅失させたのであって、このために右のレントゲン写真は法廷に顕出されなかった。

被告は、右レントゲン写真は被告から幸己に託され、同女によって斎藤病院に届けられた後行方不明になったと主張する。しかしながら、被告は幸己から右レントゲン写真の提出を請求されたのにこれを拒否したこと、斎藤病院ではレントゲン写真は一人の患者ごとに大きな袋に一括して保管する取扱いになっていたから、もし右レントゲン写真が同病院に送付されていれば、幸己に対する同病院撮影のレントゲン写真とともに一括して保管されているはずであるのに、同病院には昭和四六年一〇月のレントゲン写真は存在しないこと、被告は、幸己が生存当時から本件医療事故について医師会の紛争処理委員会に申立てをしているにもかかわらず、斎藤病院に赴くなりして右レントゲン写真を積極的に探索した形跡が全くないこと、等の点に照らすと被告の右主張は信用できず、被告が右レントゲン写真を隠匿あるいは滅失させて原告らの立証活動を妨害したことは明らかである。

従って、本件医療事故につき被告の過失及び因果関係は推定されるべきである。

6  損害

(一) 幸己

(1) 逸失利益

幸己は、死亡当時三九歳の健康な女性であったから、その余命は三九・二四年であり、生存していれば満三九歳から満六七歳までの二八年間は稼働しえたものと推定される。そして、幸己は、右期間中、年一一五万二三〇〇円(その内訳は、月収七万六八〇〇円、賞与金二三万〇七〇〇円)の収入を得るものと推定されるから、右期間を通じて控除すべき生活費を三割とし、中間利息の控除につきホフマン式年別複式計算法を用いて死亡時における逸失利益を算定すれば、金一三八九万〇六三〇円(一円未満切捨て)となる(1,152,300×0.7×17.221=13,890,630)。

(2) 慰謝料

被告の行為の態様、程度及び幸己が死亡するに至る経緯などを考慮すると、幸己の受けた肉体的精神的苦痛に対する慰謝料としては金八〇〇万円を相当とする。

(二) 原告らの慰謝料

原告らが幸己の死亡により同人の夫又は子として受けた精神的苦痛は甚大であり、これに対する慰謝料としては原告茂美につき金五〇〇万円、原告圭子及び同修嗣につき各金四〇〇万円をもって相当とする。

(三) 原告茂美の葬儀費用等

原告茂美は葬儀費用のほか墓碑建立費及び仏壇購入費等として金一〇〇万円を支出した。

(四) 原告らの弁護士費用

原告らは、本訴の提起追行を本件訴訟代理人らに委任し、同人らに対し着手金及び報酬として金三〇〇万円の支払義務を負担している。

7  原告茂美は幸己の夫として、原告圭子及び同修嗣は幸己の子として、同女の被告に対する損害賠償請求権をそれぞれ三分の一ずつ相続した。

よって、被告に対し、債務不履行若しくは不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告茂美は損害賠償金一四二九万六八七六円、原告圭子及び同修嗣は各自損害賠償金一二二九万六八七六円並びに右各金員に対する弁済期の経過した後である昭和四八年九月一〇日より支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1は認める。

2(一)  同2(一)は認める。

(二) 同2(二)のうち、被告は原告ら主張の日に幸己の胃部のレントゲン検査を実施し、その際同女の症状について消化性胃炎であるとの診断をしたことは認めるが、その余は否認する。

(三) 同2(三)は否認する。

(四) 同2(四)のうち、被告は原告ら主張の日に再度幸己の胃部のレントゲン検査を実施したことは認めるが、その余は否認する。

(五) 同2(五)のうち、幸己が原告ら主張の日に森口医院においてレントゲン検査を受けたことは認めるが、その余は知らない。

(六) 同2(六)のうち、幸己は原告ら主張の日に斎藤病院において開腹手術を受け、その結果胃癌であることが判明したこと、幸己は昭和四八年九月九日死亡したこと、その当時同女が三九歳であったことは認めるが、その余は知らない。

3(一)  同3(一)のうち、幸己の胃癌は昭和四七年二月一八日には手遅れの進行癌の状態であったことは認めるが、その余は否認する。

昭和四七年二月の森口医師による検査結果と同年三月六日の斎藤医師による開腹手術の結果とを比較すると、両結果によりうかがわれる幸己の胃癌の増殖の程度には大きな差異があり、同女の胃癌は極めて進行速度の速い癌であったものであって、昭和四六年一〇月一日当時癌はいまだ発生していなかったと推察される。

(二) 同3(二)(1)のうち、幸己が原告ら主張の期間森本医院に通院したことは認める。その余は争う。幸己の体重が急激に減少したとしても、それは昭和四七年二月に至ってからのことであり、それまではるい痩という程度ではなかったし、慢性胃炎を長期にわたって患っておれば痩せてくるのは当然であるから、痩せたからといって直ちに癌を疑うべきであったと言うことはできない。

(三) 同3(二)(2)の事実は否認する。幸己は被告に対し嚥下障害を訴えたことはない上、同女が検査のためにバリウムを飲んだりグラスファイバーを飲み込むのに何ら支障はなかったのであるから、同女に嚥下障害があったとは考えられない。

(四) 同3(二)(3)の血沈検査及びその結果は認め、その余は争う。被告は、幸己に対し、原告らが主張しているほか昭和四五年一〇月一八日及び昭和四七年一月一五日にも血沈検査を実施しているが、その結果は、昭和四五年一〇月一八日の分では一時間値二七ミリ、二時間値五六ミリ、昭和四七年一月一五日の分では一時間値二五ミリ、二時間値四八ミリであった。右血沈値にはやや促進がみられたため、被告は、一応潜在的疾患の存在を疑い、昭和四五年一〇月二二日胃部のレントゲン検査を、昭和四六年七月一三日胸部のレントゲン検査を、同年九月三〇日肝機能の検査を、同年一〇月一日再び胃部のレントゲン検査を、それぞれ実施して、潜在的疾患の発見に努めた。

(五) 同3(二)(4)は否認する。

(六) その余の主張はすべて争う。昭和四五年一〇月及び昭和四六年一〇月の各レントゲン検査のいずれにおいても、癌腫及び潰瘍などの著明な局部的所見は認められなかった。

原告ら主張の胃カメラないしファイバースコープによる検査はその操作、読影に多年の経験と高度の技術を要し、当時一般開業医には普及していなかったものであり、また、これを実施すれば確実に癌を発見することができるとは言い難く、むしろレントゲン検査の方法を高く評価する専門家も多い。

更に、アルカリフォスターゼ反応検査は、胃癌があっても当然に異常値を示すものではなく、癌が肝臓などに転移したときに初めて異常値を示すものであるから、早期胃癌の発見に実効性のある検査とは言えない。

(七) 同3(三)は否認する。

(八) 同3(四)は争う。

4  同4は否認する。

5  同5は否認する。

幸己は、昭和四七年二月下旬、森口医師から手術が必要であることを告げられて森本医院を訪ねたが、被告はその際幸己の胃部のレントゲン検査を実施し、同女に対し右検査によるレントゲン写真及び昭和四六年一〇月のレントゲン写真を引き渡したのである。右レントゲン写真のその後の所在は不明であるが、原告茂美がこれを所持していて住居移転などのために紛失するに至った可能性が強い。

6  同6及び7は争う。

三  被告の主張

1  幸己は、昭和四五年四月一六日、両側背部痛、むかつき、腹部痛を主訴として被告の診察を求めた。その結果、被告は、臍部圧痛及び舌苔を認めたので胃炎と診断し、胃壁保護剤の投薬及び注射をした。

2  その後、幸己は、同年五月二二日までに五回来院した後、同年九月二四日感冒様の症状を訴えて来院した。被告は、診察の結果、舌苔やや白色、仰臥位の触診による季肋部痛、臍部痛を認め、胃炎の症状があったので前同様の治療をした上、適度の運動をすること、精神的安静、刺激物や油濃い食物をとらないことなどの注意を与えた。

3  幸己は、同年一〇月中に八回にわたって来院したがその間の症状に著変なく、むしろやゝ好転しているものと思われた。しかし、腹部痛が長引くので、被告は、念のため同年一〇月二二日胃部レントゲン検査を行ったが、胃粘膜の肥厚像が認められたものの著変はなかった。また、尿検査の結果もすべて正常値を示していたので、被告は、右胃炎との診断に確信をもった。

4  そして、幸己は、その後も引き続き昭和四六年二月までの間一か月に四ないし六回来院したが、症状は次第に好転緩解し、腹部圧痛も減少したので、ほとんど治癒したものと、被告において判断した。

5  ところが、昭和四六年七月三日、幸己は、再度、感冒の症状を訴えて来院し、血沈検査の結果が思わしくなかったので、同月一二日肺部のレントゲン検査を実施したが、異常は認められなかった。更に、同月一三日にもむかつきを訴えたが、触診の結果季肋部痛など先の症状と全く同じであったため、慢性胃炎と診断、再度前同様の投薬等の治療をした。そして、同年九月まで引き続き来院していたが、前記症状が長引くので、被告は、同女に、念のため徳島大学医学部附属病院で精密検査を受けてみるように勧告したけれども、同女はこれに従わなかった。

6  そのため、被告は同年九月二六日肝機能検査を実施したが、その結果はグロス反応一・九五、GOT一四、高田氏反応マイナスといずれも正常に近く、コレステロールのみが二六九とやや上昇を認めたものの顕著な異常はなく、また同年一〇月一日には再び胃部のレントゲン検査を行ったが前回と同様胃粘膜肥厚と胃下垂が認められ、慢性胃炎の症状が確認された。殊に、右レントゲン検査の結果及び高田氏反応がマイナスであったことなどから癌の疑いは全く認められなかった。

7  その後も、被告は、幸己に対し、養生の上での注意を与えながら胃壁保護剤の投薬、注射等を続けていたが、その間、幸己において、時折腹部痛を訴えることもあったが圧痛、臍部痛、季肋部痛についてはほとんどなく、症状の悪化は認められなかった。そして、幸己が昭和四七年一月二九日に腹痛を訴えて来院したので初めて鎮痛剤ソセゴンを皮下注射したが、それ以前は鎮痛剤を使用しなければならないほどの痛みはなかった。

8  ところが、昭和四七年二月、幸己は、訴外森口医師の精密検査の結果手術の必要がある旨診断されたとして来院したので、更に被告においてレントゲン検査をしたところ、初めて胃壁の不整を認め、同女の依頼により直ちに訴外斎藤病院に紹介した。

9  以上の経過であって、被告としては現代の平均的医学水準に照らして適切妥当な診療行為をしたものであって、何らの過失もなく、被告が債務不履行責任若しくは不法行為責任を問われる理由はない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  幸己の死亡に至る経緯

幸己が昭和四五年四月一六日胸焼け、腹部不快感等を訴えて森本医院を訪れ、被告に診療を申し込み、被告がこれを承諾し、以後昭和四七年二月までの間、一時中断はあったものの大旨一週間に一回の割合で通院して被告の診察、治療を受けたこと、その間被告は昭和四五年一〇月二二日及び昭和四六年一〇月一日の二回幸己の胃部のレントゲン検査を実施したほか、昭和四六年七月三日、同年九月二六日、同年一一月七日の三回にわたって血沈検査をしたが、特段の異常はないとして、終始胃炎ないし消化性胃炎との診断の下にその治療を継続していたこと、幸己は昭和四七年二月一八日森口医院で受診し、レントゲン検査の結果、胃癌であることが判明し、森口医師から手術するよう勧告されたこと、そこで幸己は同年三月六日斎藤病院で開腹手術を受けたが、右癌はすでに進行癌であって手遅れの状態であったこと、そして、幸己は以後一年半ほどの闘病生活の後昭和四八年九月九日右疾患のため死亡したこと、当時幸己は三九歳であったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  幸己は、昭和四五年四月一六日、胸焼け、吐き気、腹部不快感のほか両側背部筋痛を主訴として森本医院を訪れ、被告の診察を受けた。その結果、臍部圧痛、舌苔が認められたので、被告は、胃炎及び肋間神経痛と診断し、胃粘膜保護剤、整腸剤等の注射及び内服薬の投与を行った。その後、幸己は、同年五月二二日までの間に五回通院し、前同様の治療を受けたが、その後通院しなくなったので、被告は同日付で幸己の右病気は治癒したものと判断した。

1  幸己は、同年九月二四日、再度森本医院を訪れ、被告に対し頭痛及び腹痛を訴えて診察を求めた。被告は、診察の結果感冒及び消化性胃炎と診断し、幸己に対し胃炎治療のための薬剤の注射及び内服薬の投与を行い、食事等日常生活の注意を与えた。その後、同女は三日ないし四日に一回の割合で通院し、前同様の治療を受けていたが、同年一〇月一八日受診の際、被告に対し腹痛が約一年間続いていることを訴えた。そこで、被告が同女を仰臥させて臍部を圧迫してみると、局部に痛みを感じるいわゆる臍部圧迫過敏の症状が認められた。被告は、右触診の結果、内部疾患を疑い、直ちに血沈検査を実施したところ、一時間値二七ミリ、二時間値五六ミリを記録したが、同検査における女性の正常値は一時間値と二時間値の平均値が一五ミリ以内とされているところから、幸己の右検査結果はやや異常であった。このため、被告は、同年一〇月二二日、幸己の胃部のレントゲン検査を実施したが、胃の大湾部に粘膜肥厚のあることが認められたものの、他に著変はなかった上、これに先立つ同年同月一日実施の尿検査の結果も異常はなかったので、被告は、幸己の症状が重大な疾患を原因とするものではないと判断し、それまでの診断及び治療に変更は加えなかった。

3  その後、幸己は、同年一〇月二七日から昭和四六年五月一一日までの間、大旨四日ないし二週間に一度の割合で都合二七回にわたり森本医院への通院を続け被告の診察を受けたが、その間、昭和四五年一二月二八日の受診の際には腹痛を訴え、昭和四六年二月二〇日及び同年四月一〇日には臍部圧迫過敏の症状を示したものの、従前に比して著変はなく、被告は胃炎の治療を継続した。そして、幸己は、同年五月一一日の通院後しばらく来院しなかったので、被告は、同日付で幸己につき診療中止の患者の扱いとした。

4  幸己は、同年七月三日、あらためて森本医院を訪れ、被告に対し咳、痰など感冒の症状を訴えた。そこで、被告は、幸己に対し血沈検査を実施したが、その結果は一時間値四〇ミリ、二時間値七四ミリの異常値であったので、気管支炎、肺炎、結核などの疑いにより、同年同月一三日、胸部のレントゲン検査及び血圧測定を行ったが、いずれも異常が認められなかったため、前記疾患の疑いはなくなり、ただ胃炎が長期にわたって治癒しないことから幸己の病名を慢性消化性胃炎とし、従前どおりの治療を継続した。その後、幸己は、同年七月一四日から同年九月一九日までの間都合一〇回にわたって通院を続け、被告の診察を受けたが、被告の診断及び治療に特段の変更はなかった。

5  そして、幸己は、その後も一か月に三回ないし五回の割合で通院し、投薬等を受け、その間、時として腹痛及び臍部圧迫過敏の症状を訴えたりしたため、被告としては、その都度、血沈検査あるいは肝機能検査などを実施したが、血沈検査結果は、前同様、やゝ平均値を上回る数値を記録するものの、さしたる変化はなく、肝機能検査の結果も異常を認めなかった。更に、被告は、同年一〇月一日、再度幸己の胃部のレントゲン検査を実施したが、同検査では昭和四五年一〇月のレントゲン検査の結果と比較して胃の大湾部がかなり下垂しているのを認めたものの、他に異常は認めなかった。

右のような幸己の訴えとそれに基づく諸検査の結果、やや血沈に異常が続いているほかは顕著な変化はなかったので、被告としては特別憂慮すべき疾患はないものと判断し、昭和四七年二月一四日まで従前どおり胃炎を主とした治療を継続した。

6  幸己は、右のように病状がはかばかしくなく、かつ、しんせきの者から、専門医院である森口胃腸科で診察を受けることを勧められたこともあったりしたが、なお辛抱強く被告の診療に頼っていたところ、昭和四七年二月ころから同女が極端に痩せてきたのをいたく心配した原告茂美からも同様の勧めがあり、思い切って、同年同月一八日森口胃腸科を訪れ、森口医師の診察を受けた。幸己はその際同医師に対し、約二年前から嚥下障害のあることを訴えた。

森口医師は、同日幸己の胃部のレントゲン検査を実施したが、その結果胃の噴門部に硬直壁の存在を認め胃癌の疑いを強く持った。そして、森口医師は、翌一九日、ファイバースコープ検査を実施したが、その結果胃癌で既に早期癌の域を越えているとの確定的診断を下した上、同年同月二四日、幸己に対し、市民病院で手術を受けるよう指示し同女の病状などを記載した紹介状、右レントゲン検査による写真及びファイバースコープ検査によるフィルムを託した。

7  幸己は、同日、森本医院に赴き、被告に対し森口医師から託されたレントゲン写真及びファイバースコープによるフィルムを見せたところ、被告は、自ら幸己の胃部のレントゲン検査を実施し、その結果噴門下部に欠損のあることを認め、胃癌であるとの疑いを強く抱き、同女に対し、手術の必要があるので斎藤病院において診療を受けるよう指示した。

8  そこで、幸己は、翌二五日、斎藤病院を訪れ、同病院の医師訴外斎藤圭の診察を受けた。同医師は、即日、幸己の胃部のレントゲン検査を実施した結果、胃癌と診断し、手術の必要を認め、同女を同病院に入院させた。そして、同女の体力改善を待ち、同年三月六日、開腹手術を実施した。しかし、右手術の結果、幸己の癌は既に胃の漿膜に及び、肝臓、すい臓、腸間膜にも転移し、胃とすい臓とが癒着した状態に至っていることが判明したので、斎藤医師は、胃の切除手術を実施しても治癒の見込みはないと判断し、胃の切除をしないで閉腹縫合し、右手術を終了した。

9  そして、幸己は、同年三月三〇日まで斎藤病院に入院し、以後同病院に通院を続けたものの、病状は悪化し、同年七月二六日、再度同病院に入院し、同年九月九日、同病院において胃癌を原因とする心臓衰弱のために死亡した。当時、同女は三九歳であった。

三  前示二2に認定の事実によれば、被告は、昭和四五年九月二四日、幸己との間で、被告において、幸己の腹部不快感などの病的症状の医学的解明をし、その症状に応じた診療行為をすることを内容とする準委任契約を締結したことが認められる。従って、被告は、右契約に基づき、幸己に対し、その当時における医学の水準に照らして十分な診療行為をなすべき債務を負担したと言うことができる。

四  そこで、進んで被告の責任について判断する。

1  原告らは、幸己の胃癌は昭和四五年四月一六日の被告による初診の際既に発生していた旨主張する。

《証拠省略》によれば、胃癌は胃粘膜に発生し粘膜面を周囲に広がるが、一方では胃壁の深層に向かって浸潤すること、胃壁は表層から深層にかけて粘膜、粘膜下層、粘膜筋板、固有筋層及び漿膜という構造になっているが、講学上癌浸潤が粘膜に限局するかまたは粘膜下層までのものは早期癌と、癌浸潤が固有筋層に及び又は漿膜に達し更に漿膜外に広がったものは進行癌とそれぞれ定義されていること、胃粘膜内の癌の進展は緩慢であり、癌発生から早期癌を経て進行癌に至るまで少くとも二年は経過しているのが通常であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

そして、右事実に加えて、幸己は、昭和四五年四月一六日被告の診察を初めて受けた当時から胸焼け、吐き気、腹部不快感を覚えていたこと、右症状は、被告による胃炎治療のための薬の投与にもかかわらず改善することはなかったこと、昭和四七年二月一九日には、幸己の胃癌は既に進行癌に至っていたこと、同年三月六日には、同女の癌は胃の漿膜に及び肝臓、すい臓、腸間膜にも転移し、そのため胃とすい臓とが癒着した状態に至っていたことなど前記認定に係る事実を併せ考えると、幸己が昭和四五年四月一六日森本医院で被告の診察を初めて受けた当時、従ってまた同年一〇月のレントゲン検査時において、既に同女の胃部に癌が発生していたのではないかとの疑いもなくはないけれども、《証拠省略》によれば、癌の発生とその進行は、患者の年齢、体質、癌の種類、発生部位などにより千差万別であって、前記事実から幸己について、原告ら主張の時期に既に癌の発生があったと認めるには不十分であって、他に右主張を裏付けるに足りる的確な証拠はない。

次に、原告らは、既に昭和四五年一〇月のレントゲン検査の結果、癌腫あるいは潰瘍とみるべき像が影写されているにもかかわらず、この分析を誤った旨主張するところ、前顕甲第四号証の四(これが昭和四五年一〇月のレントゲン写真であることは当事者間に争いがない)によれば、右フィルムには、胃の噴門部の下部内側壁部分に円形の白い像とこれから放射状に伸びた三本ほどの白い線が撮影されていることが認められる。しかしながら、これらの影像が癌腫ないしは潰瘍と認められるかどうかについて、これを否定する被告の供述があるのみで、これを肯定するに足りる何らの証拠もない。

してみれば、右影像が癌腫であることを前提として、これが解読を誤ったとする原告らの主張は採用しがたい。

2  原告らは、幸己の諸症状から、遅くとも、昭和四六年一〇月ころまでには胃癌の疑いを持つべきであったとし、その症状として、第一に、幸己の腹痛などの病状が長期にわたって好転しなかったこと、第二に、同女の体重が急激に減少したこと、第三に、同女に嚥下障害のあったこと、第四に、血沈検査の結果が異常であったこと、第五に、昭和四五年一〇月と昭和四六年一〇月の各レントゲン写真には癌腫あるいは潰瘍と見られる像が影写されていたことを挙げている。以下、これらの点について逐次検討する。

第一の長期間病状が好転しなかったことについてであるが、幸己は昭和四五年九月二四日から昭和四七年二月一四日までは、昭和四六年五月一二日から同年七月二日までの期間を除き、一週間から一〇日ごとに森本医院に通院して被告の診察を受けたこと、被告は幸己の症状につき胃炎、消化性胃炎あるいは昭和四六年七月一三日以降は慢性消化性胃炎と診断し、その治療のための薬剤の注射及び投与を続けたが症状の改善は見られなかったことは前認定のとおりである。

ところで、《証拠省略》によれば、胃炎は胃壁の炎症であり、その病変は胃粘膜から漸次胃壁の深層に及び、それにつれて胃粘膜の固有腺組織の萎縮を来し、この萎縮が慢性に進行性に非可逆性に経過するものが慢性胃炎であること、慢性胃炎には、胃癌、胃良性腫瘍、胃十二指腸潰瘍などに随伴するものとそうでないものとがあり、講学上前者を随伴性胃炎、後者を原発性胃炎ということ、慢性胃炎の病因は不明な点が多いが外的環境因子と内的環境因子とに区別され、前者には食事の過剰摂取、不十分な咀嚼、異物などによる機械的刺激、温熱因子、飲酒習慣、喫煙習慣、紅茶あるいはコーヒーの摂飲、薬物あるいは化学薬品などの服用のほか職業などが、後者には性、年齢、遺伝因子、胃液、胃内異物、幽門狭窄などが、あると言われており、右のうち胃液による場合を消化性胃炎ということ、慢性胃炎の病理としては、まず胃粘膜は形質細胞、リンパ球、好酸球が瀰漫性または結節性に集まって浸潤され、病変が進行すると、胃壁の全層の間質結合織は増加するが、粘膜下層は肥厚し筋層と癒着して粘膜の移動性は低下あるいは消失し、筋層及び漿膜も肥厚するに至るとともに、固有胃腺の広範な消失と胃壁の線維化が進み、胃粘膜はその上皮は保持されるものの平滑、非薄となっていわゆる粘膜萎縮の状態となること、慢性胃炎の自覚症状としては、腹痛、心窩部の異常感(例えば膨満感、不快感、重圧態)、胸焼け、呑酸、るい痩、悪心、食欲不振、嘔吐、吐血などがあること、慢性胃炎は短期間で治癒することは少なく、被告森本医院に慢性胃炎のため通院している患者のうち五年あるいは一〇年の長期間にわたって継続的に治療を受けている者もいることが認められる。

第二の体重の減少についてであるが、《証拠省略》によれば、幸己の体重は森本医院に通院前は約五六キログラムであったが、昭和四七年二月ころには約三八キログラムにまで減少したことが認められる。

しかしながら、《証拠省略》によれば、幸己の体重が急激に減少し始めたのは昭和四七年二月に入ってからのことであり、それまでは漸次減少はしていたものの異常な程度のものではなく、現に、幸己は、被告の診察を受けた際体重が減少していることを訴えてはいないこと、原発性の慢性胃炎によっても、体重の減少はその症状としてありうること、が認められる。

第三の嚥下障害の点についてであるが、原告らは、幸己が受診当初から被告に対し嚥下障害を訴えていた旨主張するけれども、本件全証拠によっても右事実を認めるに足りない。すなわち、幸己は、森口医師の診察を受けた際、約二年前から嚥下障害があるという趣旨のことを訴えたことは前認定のとおりであるが、このことから直ちに被告にもこのことを訴えていたものと推認することはできず、かえって、《証拠省略》によれば、被告は、幸己に対する診療期間中同女の病状についての訴えを診療簿に記載しているが、嚥下障害ないしはこれを推断せしめるような訴えがあったとの記載は全くしていないことが認められる。他に右主張に沿う証拠はない。

第四の血沈検査の結果についてであるが、被告は幸己に対し昭和四五年一〇月一八日、昭和四六年七月三日、同年九月二六日、同年一一月一七日の各診察日に血沈検査を実施したが、その結果はいずれもやや異常な数値を示す程度のものであったことは前認定のとおりである。

ところで、《証拠省略》によれば、血沈検査は血液中の赤血球の沈降速度を計測して身体の衰弱の程度を明らかにする検査であり、結核、リウマチあるいは消耗性疾患の場合にはその促進が著しいし、胃癌の場合にもその促進が見られるが、同検査によって特定の病気を診断することはできないことが認められる(なお、被告において、右異常値が記録されたことから潜在的疾患の発見に努めるべく、胃部、胸部のレントゲン検査、肝機能検査などを実施したことは前認定のとおりである。)。

第五のレントゲン写真の映像についてであるが、昭和四五年一〇月のレントゲン写真に癌腫あるいは潰瘍と見るべき像が影写されていると認めるに足りる十分な証拠のないことは前記四1において認定したとおりである。

次に、被告が昭和四五年一〇月のレントゲン検査の結果胃の大湾部に粘膜肥厚の像を認めたことは前認定のとおりであるので、これをもって被告が胃癌を疑うべきであったかどうかについて検討する。

《証拠省略》によれば、慢性胃炎ではレントゲン撮影による像の特徴として粘膜レリーフの肥厚が挙げられること、粘膜レリーフの肥厚は、レントゲン撮影による肉眼的所見としては、粘膜レリーフのうねりが著明となりその幅が拡張する上、これが蛇行し走行が不規則となり、その伸展に伴ってレリーフの数が減少し、極端な場合には二条の異常に大きいレリーフのみとなること、更に粘膜レリーフが透視下で外圧を加えても消失せず、前庭部収縮によっても細くならないほどに硬化像を呈してくること、このような著明な粘膜肥厚は、消化性潰瘍、胃癌、胃良性腫瘍などに随伴することが多いことが認められる。

右事実によれば、粘膜肥厚を認める慢性胃炎は随伴性のものが多いが、原発性胃炎でも粘膜肥厚を認める場合があるのであって、胃粘膜に肥厚があっても必ずしも胃癌に随伴したものとは言えず、従って医師としては粘膜肥厚を認めれば当然に胃癌の疑いを持つのが通常であるとは言えないものというべきである。

そうすると、被告が粘膜肥厚を認めたからと言って、当然に胃癌の疑いを持つべきであったとするのは相当でない。

更に、昭和四六年一〇月のレントゲン写真についてであるが、原告らは、右検査によるレントゲン写真には癌腫とみられる像が影写されていたことは幸己のその後の病状から十分推察できるから、被告は遅くともこの時点では胃癌の疑いを持つべきであったと主張している。しかしながら、右はいずれも推測であって、昭和四六年一〇月のレントゲン写真に原告ら主張のとおりの癌腫の像が影写されていたものと認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであって、原告らが主張する各症状及び検査結果の一つ一つを検討しても、またこれを併せ考えても、被告が昭和四六年一〇月当時、幸己が胃癌に罹患していることを的確に疑い、これを前提とした治療処置なり指示なりをなすべき診療契約上の義務があったとまでは認めることはできない。

3  原告らは、また、被告が幸己の胃癌を発見するため、二重造影法、圧迫撮影法によるレントゲン検査ないしはファイバースコープ等内視鏡による精密検査を実施すべき義務があった旨主張するので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、胃のレントゲン検査における撮影法には各種のものがあるが、その最も基本的なものは立位充盈像を影写する方法で、これは胃壁を充分に伸展させる程度のバリウム(一般的には三〇〇ミリリットル前後と言われている。)を飲ませ辺縁の輪郭の変化を忠実に現させて胃壁の病変を発見する方法であること、そして、他にも二重造影法、粘膜像を影写する方法(レリーフ造影法)、圧迫撮影法などがあるが、二重造影法とは適量のバリウムと適量の空気を胃内に送り込み胃壁に薄く付着したバリウムと空気による二重のコントラストで粘膜面上の微細な凹凸を影写する方法であり、同影法によれば充盈像では現われない胃の中央部の変化を現わし、しかも微細な病変を肉眼的に最も近似した像として浮き彫りに影写できるため、透視では見えない程度のものでも写真による微細判断が可能であること、粘膜像を影写する方法(レリーフ造影法)とは、少量のバリウムを一口飲ませた後胃壁を摩擦してバリウムを胃全体に広げ粘膜のひだの谷間に入り込ませて影写する方法であること、圧迫撮影法とは、一五〇ないし二〇〇ミリリットル程度のバリウムを飲ませ胃に圧迫を加えてバリウムを排除し、これにより充盈像では現われない胃中央部の病変を影写しようとする方法であり、同影法によって撮影可能な病変は肋弓で覆われた胃の上部を除く部分に関するもので、かつ透視で見ることのできる程度のものに限られること、被告は、幸己の胃部に対するレントゲン検査において暗室透視の方法によったが、右の二重造影法は用いなかったものの、充盈像の影写はもちろんのこと圧迫撮影法を用いていることが認められる。

また《証拠省略》によれば、胃癌はX線像の形態と肉眼的所見から四つの型に分類することができ、第一は、胃内腔に腫瘍が瘤状あるいは花野菜状に突出し、X線像では充盈欠損を明瞭に作る型で、ポリープ状癌と言われるもの、第二は、中央の癌性潰瘍を囲んで周りに堤防状の隆起部が取り巻く形状を示しX線像では周辺突起が著しく凹凸不整を作る型で、平皿状癌と言われているもの、第三は、癌性潰瘍の部分の周辺に比較的低い腫瘍による隆起が不規則に存在し、X線像では胃辺縁の凹凸不整と粘膜像の不整を作る型で、潰瘍性癌と言われているもの、第四は、粘膜表面に比し著明な陥凹、隆起を示さないで胃壁内を癌性浸潤が広く広がっていく型で、この型では胃壁の伸展性がなくなり、X線像では胃の縮小と蠕動の消失が主変化となり、硬性癌と言われているものであること、前示1に認定の早期胃癌は、その肉眼的所見によって、粘膜表面より隆凹するものを隆起型、粘膜表面より陥凹するものを陥凹型、その両型の中間のものを表面型と分類することができ、更に表面型のうち、極めて低い隆起を示すものを表面隆起型、極めて浅い陥凹を示すものを表面陥凹型、平らなものを表面平坦型と分類することができること、右の各分類型のうち癌の陥凹、隆起が著明でない硬性癌と言われるものや、右陥凹、隆起の乏しい点で表面平坦型に近いものほど癌の境界が鮮明度を欠き、レントゲン検査による早期発見は困難であること、幸己の胃癌は右分類に従えば硬性癌で表面平坦型に近いものであったことが認められる。

更に、《証拠省略》によれば、幸己の胃癌は噴門下部に原発巣のあるものであったこと、噴門部は肋骨が障害となって外から同部位を圧迫することができないため圧迫によるバリウムの変化から同部位の粘膜の微細な病変を見ることが困難となるので、噴門部の癌はレントゲン検査によって発見することが相当困難なものであることが認められる。

以上の事実によれば、幸己の胃癌はレントゲン検査によって早期に発見することが非常に困難なものであったと言うことができ、これに併せて被告が幸己の胃部のレントゲン検査を実施した昭和四五年一〇月二二日あるいは昭和四六年一〇月一日当時同女の胃癌の浸潤がどの程度進行し、またどのような形状であったかを明らかにする証拠はないことを考慮すると、右各検査当時において前示のとおりの機能を有する二重造影法を用いたレントゲン撮影が実施されたとしても、これによって幸己の胃癌が発見されたか否か甚だ疑問と言わざるを得ない。

更に、胃カメラ、ファイバースコープ等内視鏡検査をすべきであり、それが被告医院でできなければ、それらの設備のある総合病院等に転医を促すべき義務があったとの点については、被告は、幸己の症状についての診療中、癌等の重篤な疾患を疑うような徴候を認めておらず、これを認めなかったことについて被告に過失があったとは言えないことは先に認定したとおりであって、このことを前提とする限り、原告ら主張のようなより高度で精密な検査ないし転医指示の義務があったとは言えない。

してみれば、被告が二重造影法によるレントゲン検査、内視鏡検査を実施せず、また転医を指示しなかったことをもって、債務不履行あるいは不法行為に当たると言うことはできない。

4  原告らは、被告は早期に幸己の病状につき胃癌の可能性を疑い、その解明に実効性のあるアルカリフォスターゼ反応検査及び便の潜血反応検査を実施する義務があったと主張する。しかし、被告は早期に幸己の病状につき胃癌を疑うべき義務があったとは言えないことは前示のとおりである上、《証拠省略》によれば、アルカリフォースターゼ反応検査が胃癌の発見に実効性のないことは明らかであり、また便の潜血反応検査が早期胃癌の発見に実効性のあることを認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は理由がなく採用できない。

5  なお、原告らは、被告が故意に昭和四六年一〇月のレントゲン写真を隠匿あるいは滅失させ、原告らの本訴における立証活動を妨害したので、被告の医療上の過失及び幸己の死亡との因果関係がこのことによって推定されるべきであると主張する。

ところで、被告が幸己の診療過程において昭和四六年一〇月一日同女の胃部のレントゲン写真を撮ったことは当事者間に争いがなく、右レントゲンフィルムが現在所在不明で本件訴訟に提出されていないことは本件訴訟の経過に照らして明らかである。しかしながら、本件全証拠によっても、右フィルムを被告がその使用を妨げる目的をもって隠匿、滅失したと認めるに足りない。原告らの右主張は理由がなく採用できない。

五  以上の次第で、被告に対し同人による幸己の診療行為に関し債務不履行若しくは不法行為のいずれの責任をも負わせるに足りる立証はないので、本訴請求はその余の点につき判断を加えるまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野利隆 裁判官 田中観一郎 能勢顯男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例